12月某日、人ごみに紛れているおっさんを
探し出す「おっさんを探せ選手権大会」を開催。
世界各国から凄腕の探し屋10万人が参加。その腕を競い合った。
今大会は、初の大会ということもあり、参加者全員が
1996年夏のアナーバーに赴いて8年前のおっさんを探すという
壮大なセッティング。まさに、時を越えた時空戦となった。
大会委員長を務めるおっさんの挨拶が終わるやいなや、
唯一の日本人参加者である嵯峨氏が中国代表のサーチンホー選手を
リングに引きずり込み大暴れ。収拾がつかない混乱の中、
試合開始のゴングが鳴った。嵯峨氏は、息をもつかせぬ早業で
何が何だかわからない様子のサーチンホー選手を圧倒。試合開始から1分も経たないうちに、サーチン
ホー選手を完全ノックダウン。嵯峨氏は諸手を挙げて雄叫びを上げる。
と、その一瞬のスキを狙って、ドイツ代表のミッツ=ケタラー選手と
ロシアのハッケン=シタルスキー選手が、嵯峨氏に猛然と襲い掛かった。
そうして、3人が入り乱れ、リングを赤く染めながら激しいバトルを繰り広げた。
そんなリング上のバトルには見向きもせず、他の選手達は大会本来の
趣旨に沿って「おっさん探し」を開始。
1996年7月24日、アナーバー・アートヘア(Ann Arbor Art Fair)
真っ最中のアナーバーダウンタウンで、おっさん探しの腕を競い合った
(上の写真参照。 どこかに24歳当時のおっさんが写っている。
ヒントは ココ に
)。
しかし、現在のおっさんの顔さえ知らない選手達にとって、8年前のおっさんを探すのは
相当難しいようで、今もなお9万9996人の選手がおっさんを探し続けているという。
そして、リング上では、3人が未だに意味不明のバトルを続けている。
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