平成20年7月13日のインタビュー

西川氏: 最近どうですか?

おっさん: まぁ、ぼちぼちやな。

西川氏: 何だか、また 波風立ててるみたいですね。 よく考えて行動した方がいいですよ。

おっさん: 何や? お前、 わしがよく考えて行動してないと思ってるのか? お前はアホか? わしは 常に先を見ながら今この瞬間を生きてるんや! わしほどよく考えて行動してる人間は、 この世にあんまりおらんぞ!

西川氏: (あんまりいないってことは、 他にもそこそこいるってことか) どういう意味ですか?

おっさん: わしは常に先を見てるんや。  子供の名前を考えたときだって、小さな子供ではなく、そのもっと先の、いい年したオッサンの姿を 想像して考えたもんや。 だいたいからして、子供の間なんかほんの十数年やねんから、 人間は人生80年のほとんどをオッサンとして過ごすわけや。 であるならば、 その最も長い期間を念頭に置いて考えてやらんとあっかいな。  例えば、「ロケットボーイ君」という名前なら、小さな子供の間は「 カックイイィー! ギュイーン!」となるかもしれんが、ええ年した営業マンが「私、西川ロケットボーイ言いまんね ん。よろしゅう頼んますわ」などと言うたら、相手も???で、 まとまる契約もまとまらんやろ。 だから、ちゃんと契約が取れるように、 しっかり、どっしりした名前を考えたんや。 先を見るんや、先を!

西川氏: (営業マンを目指してるのか? で も、その名前は意外とウケたりして。) あ、 そうですか。

おっさん: そうやがな。  「青春の高校数学」を方手雅塚という名で出して、 その経歴も単純に、堺出身と、(一応、数学的内容をある程度保証するという意味で) 博士号と書いてるだけや。 短い目で見れば、本名で出した方が ええやろうし、NASAやら、KOBYやら、駿台デトロイト校やらと書けば 、ええ宣伝になったかもしれん。 でも、それは本質ではないんや。  NASAやからスゴイわけではないし、KOBYやから、駿台やからスゴイわけではない。  この「青春の高校数学」の内容が前代未聞であるところがスゴイんや。  だいたいからして、もしもこの本にそういう情報を 入れたとしても、例えばNASAを去ったときにその部分の価値は一瞬にして失われるんや。  KOBYを外れたら、それも消える。 駿台も一緒や。 わしは、そんな 近いところは見てないんや。 わしはもっともっと先を見てるん や。 わしが死んだ後でもしっかりとこの世に残っていくような、内容自体に価値があるものを 作ろうとしてるんや。 たとえば、辞書なんか、誰が書いたとか、どこの出版社とか、 そんなん全然関係ないやろ? 大事なのは内容やろ? それと一緒じゃ。

西川氏: (辞書は、また違うもんやろ) いや、でも、それが今良い宣伝になる のなら、使えばいいと私は思いますけどもね。 内容って言ったって、最初からいきなり 内容がわかるわけではないですし。  だいたい、死んだ後のことなんて、そのときに考えれば いいじゃないですか。

おっさん: 死んだ時に考えられるのか、アホ!

西川氏: あっ、いや、 それは単に、もっと後でもいいじゃないかという意味で、

おっさん: 研究だってそうや。  わしは常に先のことしか考えてないから、大学院生時代には、しなくてもいいことを 一杯一杯やってきた。 研究自体は、研究費もなかったし、 教授もほったらかしやったから、気ままにいろんなことをやった。 それに必要 な知識も自分で勝手に勉強した。  宿題やプロジェクトなどは、その授業で良い成績を取る為に やるのではなく、そのもっと先を見ながら、気になることは徹底的に調べて 好奇心の赴くままにやりまくった。 そうすれば、結果的に他の生徒より も深いところまで勉強することになるわけやから、良い成績になるのは当たり前や。  アホな学生に宿題を丸々コピーさせてくれと頼まれたときも、 常に先を見てるわしは喜んでコピーさせてやったがな。  おまけに、その解答がキレイだということで、そのコピーした奴の方を模範解答として 教授がクラスに配布したけども、先を見てるわしには全くどうでもええことやった。  現に、結局そいつは研究者にもならんかったがな。 一方、わしは、 まさにミシガンでやった多くの要らんことが、ここでの研究に必要なことをほぼ網羅してたことがあって、 めでたくこうやってここで研究職に就けたんやがな。 もちろん、 一旦ここに来てしまえば、またその先を見ることになるわけやけどな。

西川氏: (宿題をコピーさせたらアカンがな。)

おっさん: 先を見ない人間は、 本質を見失いがちや。 わしが渡米したときも、「もったいない」 とか「せめて修士号を取ってから」とか。 博士号を取ったときも「論文の数が少な過ぎて研究者の道はちょっと危険」とか。  それらは全く本質を捉えていない。 はるか先のところまで考えたときに、 今行かなあかんと思ったら、それはもう今しかないんや。  論文の数ではなく、己の能力、アイデアの数で判断するんや。  実際、論文が沢山ある学生の多くが一流の研究者になれずに埋もれていっとるがな。  とにかく、常に先を見ることなんや。 だから、わしは博士課程を修了しても、 卒業式に出なかった。 そんなもんは、わしの中ではすでに過去のことやった。  やっと現実が追いついた、程度のことや。 今となっては、教授職を得ることさえ、 わしの中ではもう既に終りつつあることや。 わしは今、そのもっと先を見てるんや。

西川氏: (後からなら何とでも言えるわいな。)

おっさん: とにかく先を見ることや。  目先のことにとらわれず、もっともっと大きな視野を持ち、常に先を見て 物事を判断していくことや。 特に子供の教育の場合、結果が出るのはそこそこ大きくなってからやさかい、 はるか先を見てやらないかん。 たとえ今ちょっと嫌な思いや辛い思いをしたとしても、 立派に成長したときに「そうか、そうだったのか」と言えるように考えてやらなあかん。  逆に、今は楽しくても、大きくなったときに「失敗した。。。」と後悔し、 子供に英語で「何で○○してくれなかったの?」と言われたら、もうそれは涙もろ過ぎる やろ。

西川氏: (確かに、「失敗した。。。」ってセリ フはよく聞くが。)

おっさん: おいっ、どこ見とんねん!  人の話、聞いとんのか!

西川氏: もちろん聞いてますよ。  私も常に先を見ることにしたんです。 だから、私はもうインタビューを終えて、 家に帰ってるところを見てるんです。 どうやら現実が追いついたようなので、 私はもう帰ります、っていうか、気分はもう家でくつろいでます。

おっさん: よっしゃ、それでええがな。 お前 もやっと分かってきたか。 おい! 待て! まだ話は終ってないぞ!

西川氏: いや、もう終ってるんです。  私はもう次のインタビューのことを考えてるんです。 だから、さようなら。  っていうか、もうサヨウナラも終ってるんです。

おっさん: おいっ、待てって! おーい!   うーん、よっしゃ、わしはそのもっと先を見てやる! 行くぜ、 俺達フォーキー&ナイフィー!



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